子育てや両親との暮らしで家の中はモノで埋まっていました。
子供の独立と両親を無事に送り出したことから、いよいよシンプルな生活へと進めることにしました。
この記事ではそんなシンプルライフを目指す最初の段階の内容です。
その2:使うものだけを選ぶ毎日
その3:生活が軽くなってきた
その1:シンプルな生活がしたい

家のシンプル化を進めるのは体力的に60代前半までがリミットかも知れません。気力と体力が必要だからです。
(1)親の持ち物で溢れている
我が家は親と同居していた珍しい家族です。最後に一緒だった母親はモノを大切にする正確でした。「こんなものまで取っておくの?」というくらいに沢山の持ち物がありました。母の部屋はモノで溢れていて、さらに外に巨大は物置きがあり、趣味の踊り関連の荷物や生活備品がぎっしりと詰まっていました。
そんな母が他界してからが大変でした。約3か月にわたり仕事の合間に女房と仕分け作業やクリーンセンターに軽トラックで何度も運び処分することになったのです。
最後に残ったアルバムや学校時代の書類や様々な記録は母の生活の証なのですが、懐かしく見るのは兄弟や親せきの高齢者だけで、それ以外はだれも興味はありません。
なので親戚と相談しながら処分を始め、その都度来着たり確認したりしてかかった期間が3か月なのです。
この処分は60代初めまでが体力的にも限界だと分かりました。
(2)子供と夫婦の荷物を廃棄する
夫婦の持ち物でもアルバムと学校関連の記録はほぼ廃棄しました。女房と相談したら「夫婦の結婚から旅行の写真をだれが見るのか?」という話題になり、よく考えると自分たちだけの記憶と懐かしさだけです。
そこで思い切って結婚式から新婚旅行、卒業アルバム、その他の写真をきれいに廃棄する決心をしたのです。勇気がいりました。いままでの記録に感謝を込めて廃棄しました。
しかし、その事があらなた気分を生んだのです。
それは、過去との別れとこれからの希望です。過去のしがらみを捨て去ることで今を大切にするようになってきたのです。
どの様に夫婦が生きてきたのか、子育てをしてきたかという記録はもはや過去のことです。それさえも捨て去れば、残っているのは現在と未来です。
そこから私たち夫婦は新しくシンプルな未来を見ることがメインに生活へと変化してのです。
独立した3人の子供たちの記録もすでに子供に渡したか或いは廃棄しました。残っているのは夫婦の頭の中にある鮮やかな記憶だけです。
全ては記憶だけに収納したのです。軽いです!
(3)シンプルは気持ちがいい

トラックで何往復もして廃棄したので、我が家はシンプルそのものに変わってきました。
大きなものでは、タンスを壊して廃棄したら不要な衣類が沢山出てきましたのでリサイクルに回しました。
キッチンの大きな食器棚を壊して廃棄しました。そこにはカラーボックスにお茶碗とマグカップとグラスと皿が残りました。それだけで十分な生活ができます。
外にあった大きな物置は分解して廃棄しました。中にあった道具類は殆どが使わないので廃棄しました。
その2:使うものだけを選ぶ毎日
現在はそのシンプル化をさらに進めています。まだまだ不要なものが目に映ります。
使うものだ家を選ぶと、意外にも物はいらないことに気が付きます。現在は一切物を買っていません。必要な物が出たら「本当に必要なのか?」を考えてから判断することにしています。
シンプルならば物が誇りをかぶることはありません。毎日道具として使っているので光ってきます。
物が生きていると感じる心地よさを体感するのです。逆に毎日使う物を大切にするようになりました。
その3:生活が軽くなってきた

必要な物だけに囲まれた生活は単純でとても軽いのです。
使わないものは無いので、身の回りにある物は使い切るものばかりです。
現役時代ではこんなシンプルな生活にはならないと思いますが、年を重ねたらシンプルが一番心地よくなってきます。
この家も子供たちにはいづれ重荷になり誰も住まない廃墟になる可能性があります。子孫が処分に困る時代です。
昔は家を長男が継ぐという家風があったのですが、現在は全くありません。長男夫婦がどこに住むかわかりませんし、まして同居もないので残された家屋は売れなかったら大変な重荷になりかねません。
そんな究極の住まいのシンプル化を進めています。
ゴールは「思い出という記憶」と「ここちいい風」を感じるシンプルな生活を考えています。
まとめ
シンプル化を目指していることを紹介しました。シンプルな生活は風通しがよくて爽やかで軽く気持ちがいいのです。